「吾唯知足」(ワレタダタルコトヲシル)
これは、私が大学時代を過ごした京都の龍安寺にある蹲踞(つくばい)の上面に刻まれた言葉です。蹲踞というのは、茶室の庭先にある石の手水鉢のこと。これが低く据えてあって、茶室に入る茶客が手を洗う際に、つくばうことから転じたようです。
そして冒頭の言葉は、「知足のものは貧しと言えども富めり。不知足のものは富めりと言えども貧し」という仏教の神髄である「知足」の心を表しています。私なりの解釈で言うと「満足することを知っている者は、心穏やかに過ごすことができて、貧しくても幸せであり、満足することを知らない者は、不平不満が尽きず、豊かでも不幸である」といった意味合いでしょうか?
FPとして、日ごろからお客さまと接して感じるのは、まさに「足るを知る」ことの大切さです。
周囲に流されず、自分の信念やライフプランをしっかりと持ち、身の丈にあったお金の遣い方、接し方ができる人は、とても心豊かな暮らしを手に入れていれているように見えます。一方で、収入も高く、貯蓄も平均以上お持ちなのに、将来に夢や希望を持てず、いつも不安に駆られている人もいます。自分がどうすればハッピーになれるかを見つけることは、そんなに難しいことでしょうか?でも幸福の尺度は、人それぞれ。誰かに教えてもらうものではなく、自分自身で見出さなければいけません。
そして、その幸福を左右しかねない「お金」は、充実した人生を送るための「ツール」の一つに過ぎません。たしかにお金は大切なものですが、それに振り回されてはいませんか?目的や目標が明確にならないまま、ただ単に「貯める」こと自体が目的のようになっていませんか?お金は「稼いで」「遣って」「備える」ためのものです。
ファイナンシャル・プランナーとして、お客さまとともに「知足」の根源を探し、ご自分やご家族にとって素敵な人生を楽しむためのライフプランやマネープランのお手伝いができれば幸いです。